ティフィンの微睡み

耽美主義者緑川かえでの原稿進捗。

Twitter考察あれこれ

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◼️今日で3月も終わり、一年が四分の一終わることになる事実が恐ろしいです。今晩は、緑川です。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。今日、某コンビニに行ったら、もう暖かくなってしまったせいか大好きなごまあんまんがなくなっていて悲しかったです……前置きはさておいて、記事の本題に移ります。

◼️最近、Twitterのタイムラインを追うのが煩わしくなってしまって、定期的に辞めたい病気には陥るのですが、続けている意味が分からなくなってきました。それならば此処でぼやいていないでやめればいいじゃないと思うのですが、もう個人サイトの全盛期は過ぎ、Twitterが主な連絡のツールになっていたり、即売会に参加するなら宣伝にも必要です。時代の流れに逆らってやめてみてもいいのですが、今後の活動のことを考えると、なければないで困ってしまう。

◼️現実的な話をしてしまえば、今の私にあまり余裕がないのだと思います。他の誰かの楽しいことを、温かい目で見て共感できないくらい、疲れているのだとも思います。『あなたは楽しくていいですね』みたいに頭の悪いことをもう自分は、汚れていて、愚かだとも思います。

◼️普通という感覚は人によって全く違います。誰かにとってはそれが日常でもそれを見たある人にとっては自分とは程遠いくらい眩しい、とても豪勢な暮らし・恵まれた環境・優しく温かい家族に映って、妬みや反感、苛立ちにつながります。誰を不快にしているか分からない。今の私はきっと、何を見ても悲しくなってしまうような状態なのだと思います。暗いことは極力書かないでいますし、数年前の自分ならば書いていたような愚痴や暴言も、今の私なら書くのを思いとどまって紙の日記に書いておしまいにできるようになりましたが……親しくさせていただいている方の中でも、タイムラインの書き方の口調があまり綺麗ではないのに私と話してくださる時に丁寧にしてくださる方が何人もいるので、どちらが本当のその方なのか分からなくて『タイムラインの口調だったら、現実の私なら関わらなかっただろうな』と、申し訳ないことに感じてしまう方もいます。

◼️現実でもネットでも、出不精で悲しいことではあります。

◼️また、Twitterに書く・書いて提供できるようなことが私にあるのかなあという疑問も出てきました。自著のことを書くのはいいのですが、そればかり書いていても鬱陶しいだろうし、何より私自身、執筆が順調な時は言いたいことが言えている状態なのでわざわざ呟くことがなくなるのです(なので自著について垂れ流して語りまくっている人を見かけると、そんなに話すことがあるのなら書けばいいじゃない、と思ってしまう。自著の話ばかりだとうざったいと思われるのではと考えてしまうのはこの気持ちが根深いからです)

◼️創作関連のノートや他の書き物について書こうかなとも思ったのですが、紙の日記や自分の他につけている記録は見せるようなものではないし、そうなると創作資料の解説みたいになってしまうので、それはそれで微妙な気がしました。上述したこととかぶりますが、そんな資料の話ばかりしている暇があるなら書けよ、と自分に思ってしまいます。

◼️勉強中のフランス革命のことや、敬愛するバタイユ御大の思想・作品についてはまだ語れるほどの知識も少なく、もっと勉強と研究が必要だと思うとまた話すことがなくなります……

◼️あとは、敢えてネットに上げていないようなこともあります。これは『ネットに上げていないこともある』と書く必要もないですよね。あげないのですから。笑

◼️私は学生の時は勉強が大嫌いでした。うっかり入った進学校でしたことといえば、体と心を壊したことと、女の子の友情の汚さと脆さを知ったことと、上手に嘘をついてライヴに行くことだけでした。残りの時間は全て、文章を書くことと鬱屈に歪むことに捧げていたと思います。誰かに対して、これだけは私は誰にも負けない、と自慢できることができるまで、勉強をしておけばよかったと、今になって思います。無名の個人が何かを発信するなら、そういう専門性があったら有益なのになと思います。

◼️語るに落ちるその前に、語ることが何もない。

◼️書くこと以外の全部を放り出して、勉強がしたいです。ネットのためにではないです。発信するということは、他の誰かにはない何かをプレゼンテーションすることだと思います。私はまだ、改善の余地と、励まねばならない領域があると感じました。

 

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